エルの物語

古代ギリシャの哲学者プラトンが主著『国家』(politia)の末尾で付け足し(エピローグ)のように語っている寓話が「エルの物語」と呼ばれているものです。せっかくなので全文を記載しておこうと思います。

ちなみに、プラトン『国家』の主題は「正しい人間こそが幸福で、不正な人間は不幸である」ということはどのようにして論証できるのか?というものです。

『国家』は全10巻から成り、教育論、政治学(王政・寡頭制・民主制・独裁制の分析)、文芸論など、あちこちに話が展開していく盛りだくさんの内容なのですが、全編を通して議論の主軸になっているのは

「魂の構造論」(理性・気概・欲求)と「調和が取れた魂の最善のあり方」とは何か?という論点です。

正しい人間=有徳な人間においては、理性>気概(意志)>欲求 という「あるべき秩序と調和」が魂内部に確立されていて、理性によって「正しさのイデア」が把握されていて、イデア(真理)に魂全体が従うように統合・制御されており、そのように「正しくイデアにあずかる生き方」こそが人間にとっての真の幸福なあり方である、と言われるが

不正な人間=悪徳な人間においては、欲求>気概>理性 という「昏倒した無秩序・不調和」が魂を支配しているがゆえに、およそイデアから遠ざかること甚だしく、イデアに由来する魂本来の幸福にあずかることができない状態、かつ何をしても満足を得られない惨状にある、と語られる。

このように、プラトン『国家』の主眼は、死後の世界における賞罰や輪廻の話を持ち出さずとも、すでにこの世に生きている間でさえ、正しい有徳な人間こそが幸福であり、不正で悪徳な人間は不幸としか言えない、ということを論証する点にあります。

なので、死後の世界における魂の賞罰と輪廻を語る「エルの物語」は、本論ではなく、あくまでも付け足し(エピローグ)という位置付けにすぎません。(それが経験的に検証できる事柄ではないからでしょう)

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さて、それでは、これから話そうとするのは、パンピュリア族のアルメニオスの子エルの物語である。

エルは戦争で死んで10日の後、埋葬のために戦地から収容されたが、他の死体が腐敗している中、なぜか彼の死体だけは腐敗していなかった。死後12日目にいよいよ火葬される時に、エルは突如として生き返って、彼があの世で見た様々の事柄を語りはじめた。彼が語ったことは次のような内容であった。

エルの魂が死体を離れた後、ほかの多くの戦死者たちと共に道を進んでいくと、不思議な広場のような場所に辿り着いた。
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そこには、大地に大きな2つの穴が並んで口を開けており、天のほうにも同じように2つの大きな穴が開いていた。

これら天の穴と地の穴の間には、裁判官たちが座っており、彼らはそこにやって来る者たちを裁きを行い、正しい者には判決の内容を示す印を付与して、彼らを天を通って上に向う道へ行くように命じ、不正な者に対しては、生前に犯した全ての所業を示す印を付与して、地の下に向う道へ行くように命じていた。

エル自身が彼らに近づくと、裁判官たちは「お前は死後の世界のことを人間たちに報告する者とならねばならぬ。ここで行われていることを全て残らず見聞きしておくように」と語った。

彼が見ていると、魂たちは判決を受けた後、天と地の穴から各々の行き先へと去っていった。天と地に開いているもう片方の穴については、地の穴から汚れと埃にまみれた魂たちが上ってきたし、天の穴からは、浄らかな姿で天から魂たちが降りてくるのだった。

それぞれの世界から到着した魂たちは、長い旅路からやっと帰ってきたような様子で、嬉しそうに広場に集まり、祭りに人々が集まるようにして、知り合いの者たちは互いに挨拶を交わしていた。地下の世界からやって来た魂は、他の魂たちに天上の世界について尋ね、天からやって来た魂は、他の魂に地下の世界で経験したことを尋ねていた。

地下から来た者たちは、自分たちがどのような恐ろしい経験を受けてきたかを思い出しながら涙に暮れていたし、他方、天からやって来た者たちは、数え切れない喜ばしい幸福と美しいもののことを語っていた。
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エルが語ったところによれば、各々の人間が、かつて地上の人生において、どれだけの不正を働いたか、どれだけの数の人々に悪事を行ったかに応じて、魂はそれら全部の罪業のための罰を受けるのだが、その罰の執行は、各々の罪について10回繰り返される。

すなわち、地上での生涯を100年とみなすならば、100年間の罰の執行を10回(=合計で1000年)繰り返すことになるが、これは各人が犯した罪の10倍の償いをするためである、と言われている。

たとえば、国家や軍隊を裏切って多くの人々を殺したり、奴隷に貶めたりといった悪業に加担した者があれば、全てのその罪過に対して、10倍分の苦痛と懲らしめを与えられることになるし

逆に、善行をなして、正しく敬虔に生きた者があれば、同じ割合でもって、それにふさわしく報いを与えられるのである。

しかし、神と生みの親に対する不敬、みずから手を下した殺人については、以上のものに加えてさらに大きな報いが用意されている。(⇒ 地下の最奥にある「奈落=タルタロス」における永劫に等しい罰)

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天上や地下から広場に集められた魂たちは、そこで7日を過ごした後8日目に旅立つように定められていた。

広場から旅立って4日目に、彼らはひとつの場所に到着した。
(=天球と大地の回転を支える宇宙の回転軸が見渡せる開けた場所。記述が長いので省略)

天地を貫くダイヤモンドのように輝く回転軸が柱のように宇宙に轟き、その回転軸に沿って(独楽や車輪のようにして)恒星天や惑星が規則正しく運行している。
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必然の女神アケンナが、その回転軸から伸びている手綱をさばいて全体の運行を管理している。天地の運行を司るアケンナの傍らには、アケンナ(必然)の3人の娘である「運命」(モイラ)の女神たちが座している。ラケシス、クロト、アトロポスの3人である。

(運命の3女神:クロトが紡いだ糸を、ラケシスが測って割り当て、アトロポスが断ち切る、ことによって1人1人の運命が定められる、と考えられていた。cf:ヘシオドス『神統記』など)

旅してきた魂たちは、ここに到着すると、ただちにラケシスのところへ行くように命じられる。

そこには神の意を伝える役目の神官がおり、彼らを整列させて、ラケシスから籤(クジ)と多様な生涯の見本を受け取り、次のように宣言した。

「これは女神アケンナの姫御子ラケシスのお言葉なり。命はかなき魂たちよ、ここに死すべき種族が辿る、死に終わるべき今ひと度の周期が始まるのだ。

運命を導く霊(ダイモーン)が汝らを籤で引き当てるのではない。汝ら自身がみずからの運命を導く霊を選び取るのだ。1番目の籤を引いた者には、1番目に生涯の見本から選らばしめよ。その選んだ見本に、彼は必然の力によって縛り付けられ離れることはできぬ。責めは選ぶ者にあり、神々にはいかなる責もない。

そして、徳は何者にも支配されぬそれを尊ぶか、ないがしろにするかによって、人はそれぞれ徳をより多くあるいは少なく自らのものとするであろう。」

神官はこのように言うと、全ての魂に籤を与えた。籤を取った者は、自分がそれぞれ何番目を引き当てたかを知る。神官は、彼らの前に、無数の生涯の見本を陳列するが、その総数たるや、そこに居合わせた人々の数よりもはるかに膨大であった。

(プラトンがここで描いていることから考えると、各人の人生選択において、宇宙の経綸、籤の順番という人知を越えた要素による必然性/偶然性が選択のベースにあるが、一方で本人自身の自由意志による選択がある、というふうにして必然と自由の両方の要素が関与している、という趣旨なのだろう)

ありとあらゆる生涯の見本がそこにあった。またあらゆる動物の生涯もあったし、人間の生涯もあらゆる種類のものが揃っていた。

例えば、独裁者の生涯もあったが、それも一生続くものもあれば、途中で滅びるもの、追放されるもの、乞食に成り果てるものもある、というような具合であった。

名誉を受ける生涯もあったが、そのあるものは容姿容貌の点で、体育競技の腕前の点で、あるいは氏素性や先祖家系によって名高くなる生涯などであった。また同じ点において、評判が悪い者たちの生涯もあり、女たちの生涯にも様々のものがあった。

魂は各々が選んだ生涯に応じて、おのずから異なった性格を決定されることになる。いま挙げた以外にも多くの条件が混じり合い、富裕と貧困、病気と健康、などの要素が互いに交じり合っている。

しかし、この(生涯見本を選び取る)瞬間にこそ、人間にとって全ての危険が掛かっているのだし、まさにこのゆえにこそ、他の何を学ぶにも差し置いて、このことだけでも探求して学ぶように心掛けねばならないのだ。

その探求とはすなわち、魂にとって善い生と悪い生を識別して、いかなる場合においても、より善い方の生を選べるだけの知識と能力とを修得することである。

もし、それを見い出し学ぶことができるならば、いま無数の生涯の見本として語られた全ての条件が、互いに結びつく場合にも、単独に別々のものとしても、「魂を善くあらしめる」という目的に対して、いったいどのような関係を持つのか、を考慮しながら、

容貌の美しさが、貧乏や富裕の条件といっしょになる時、あるいは、どのような魂の持ち前(性格傾向)と共にある時に、どのような魂の善さや劣悪さを創り出すことになるのか、を知らなくてはならない。

さらに、家系や出自の良し悪し、公的地位の有無、肉体の強さ弱さ、物分りの良し悪し、すべてこれに類するような先天的または後天的な特性が、互いに結び付きあって、魂にどのように影響して何を作りだすのか、を知らねばならない。

そうすれば、これらの事柄を正しく総合して考慮した上で、もっぱら「魂の良し悪し」に目を向けながら魂が劣悪になるような方向に導く生涯を「より悪い生」と判断し、より正しく善美になる方向へと導く生涯を「より善い生」と判断して、善い生と悪い生の選択を適切に行うことができるようになるだろう。

そのような選択こそ、生きている者においても、死んだ者にとっても、最も優れた選択に他ならない。かくて人は、金剛のように堅固にこれらの思慮を抱いて、ハデスの国(冥府)へと向うべきである。

あの世においても、富やそれと同様の害悪にばかり目をくらまされることなく、独裁僭主の生涯や他の境遇に落ち込んで、多くの癒しがたい悪徳を身に付けて、みずからの魂を破滅に導くことのないように注意せねばならないし、

現在の生涯においても、またこれから選ばれるどの生涯においても、そうした外的条件(富・名誉・権力)に関しては、常に「中庸」の生活を選び取り、いずれかの方向に「度を越えた生」を送ることを避けるようにすべきである。なぜならば、そのようにしてこそ、人は最も(魂の)幸福にあずかりやすくなるのだから。

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エルの伝えたところによると、先の神官は次のように言ったらしい。

「たとえ籤の順番が最後になる者であっても、よくよく心して選ぶならば、真剣に努力して生きる限り、満足ができるけして悪くない生涯が残されているはずだ。1番目に選ぶ者もまた疎かに選んではならぬ。最後に選ぶ者も気落ちしてはならぬ」

エルの話によると、1番目の籤を引いた者は、ただちに進み出て、最大の独裁者の生涯を選んだらしい。

彼は選択にあたって浅はかさと欲深さのゆえに、あらゆる事柄を十分に考えてみなかったのである。選ばれた生涯見本の中には、自分の子供の肉を喰らうことや、その他数々の禍が含まれていることに、彼は愚かにも気が付かなかった。その後よく調べた後に、彼は自分の選択を悔いて嘆いた。

ちなみに、この男は天上のほうの旅路を終えてやって来た者たちの1人であった。彼は前世において、よく秩序づけられた国制の中で安穏な生涯を過ごしたおかげで(特に問題意識も持たず漫然と一生を過ごすことになり)、熱心に真理を追究することなく、ただただ習慣によって善い人格になっただけの者だった。

この者と同じような過ちを冒す少なくない者が天上からやって来た者たちに多くいた。彼らは苦悩によって教えられることが無かったためである。

これに反して、地下からやって来た者の多くは、長い間さんざん苦悩してきたし、他人の苦しみをも見てきたので、決して浅はか愚かな選択をしなかった。

このようにして、籤運も手伝って、大多数の魂においては、善い生涯と悪い生涯とが毎度入れ替わることになるのである。(⇒ その結果、何度転生しても魂の再生と成長は一向に進まない)

もし人がこの世の生にやってくる度に、誠心誠意に真理だけを愛し求めて生きるように心がけるならば、その人は、ただこの世において幸福にあずかるのみならず、あの世においても、さらにはあの世からこの世に再び戻って来る選択においても、地下の陰険な旅路ではなく、浄らかな天上の旅路を行くことになるだろう。

まことに、エルが語ったところによると、各々の魂がどのようにして自らの生涯を選んだかは、見ておく価値がある光景であった。それは哀れみをも覚えるような、また笑い出したくなるような、そして驚かされるような観物であった。

その選択はほとんどの場合において「前世において形成された習慣」によって左右されてしまうからだ。

こうして、全ての魂たちが自分の生涯を選び終えると、皆は籤の順番に従ってラケシスのもとに赴いた。この女神は、これら選ばれた生涯を見守り、選ばれた運命を成就させるために、それぞれが選んだ守護霊(ダイモーン)を各々の者につけてやった。

ダイモーンは、魂を女神クロトに連れて行き、各人が籤引きの上で選んだ運命を改めて、女神の手によって確実なものとし、さらに、女神アトロポスの紡ぎの座に連れて行き、運命の糸を取り返しのきかぬものとした。

それから魂は振り返ることなく、女神アケンナの玉座の下に連れて行かれ、そこを通り過ぎると、広大な野へと送り出された。それは<忘却の野>である。それは息の詰まりそうな恐ろしい炎熱の道であった。魂たちは一昼夜その野を歩き続け、ようやく<放念の河>の畔に到着する。

<忘却の河>(=レーテー河)の水はいかなる容器をもってしても汲み溜めることはできないものであるが、全ての魂は、この水を決められた量だけ飲むように言われていた。自制心がなく思慮浅い者たちは炎熱による渇きゆえに定められた量よりも多く飲んでしまう。

そして、彼らは飲んだ途端に、前世に関わる一切の記憶をことごとく忘れてしまい、魂の休眠状態へ陥る。その後、それぞれの魂は突如として流星が流れ落ちるようにして、かなたこなたへと地上の誕生のために運び去られて行くのである。

by astro_suimei | 2018-12-12 07:35 | 人間論・人生哲学


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